ブログと修復と (α)

書き部のブログ。書いてあることの2割を嘘だと思って読むべし。毎週金曜午後に更新 月三回 コリウスの葉っぱが目印 更新は終了しました。

マーカ・フシギ・マカロンロン

どうも、デパートの休憩スペースにいたとき、ピシッとした和装のおばあさんが隣に座ってきて、カロリーメイトと本を取り出して読み始めたものの、その10分後、机に突っ伏し爆睡をされていた。ばなです。

 

今回は素面が支配する社会について。

 

関係ない単語の連打(過去記事)、詩、何でも混ぜこぜ、情景・絵画、泥酔・酩酊、無限の色、雄弁、テキトー、共感覚、マクロ 

に対して

文学、散文、系統付けされた学問、幾何学、素面、純原色、寡黙、思慮深、実感覚、ミクロ 

この二極の概念はつまり、人間の野生的考え方と、人間の理智的な考え方だ。

 前者は新たな発想、見えない物を見つける。

 後者は模倣や緻密な作業を行う、に適している。

  この2つの考え方は、人間がもともと持っていて、交わらないものの、両立することができる。

日本では一つにキレイに纏める、言われた事を正しく覚える、落ち着いて静かにしてる、が評価されるし教育される。なんでもごちゃごちゃ、テキトーな話、駄洒落、喋ってばっかいると アホ とされる。

 しかし、時代を揺るがすものは何時もその アホさ から生まれてきた。  

ビートルズの革新的なアルバム『リボルバー』もLSD体験に着想を得たものとされる。

パナソニックの初代社長は中学に出ていなかったが革新的な発想で成功したとされる。

最近だと、アニソンなのにフランス語で韻を踏み、イカれた造語を大量に挿入するという ばな 的に革命を起こした『ワン・ツー・スウィーツ』(過去記事)という曲はアニメ中で主人公が幻覚を見て作詞した描写がある。f:id:brogmybana:20191029163820j:image
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 しかし、明治維新以降、西洋文化をマネして成長し大金持ちになった日本政府は後者を執拗に推し続け、前者を悪とした。

 現代日本では殆どの人が、理智的な考え方が物凄く得意であるが、所謂"アホな"野性的考え方も並立して得意な人間は少ないとされる。

 その結果、昨今の機械学習研究等の成果により職を失う人は専ら理智的な考え方のみで、整理された仕事や細かい仕事に依存した人たちであった。そのことから、ようやく、従来の素面に偏向した社会、教育制度は限界に直面し元より人間にあったはずの野性的、テキトーな考え方の重要性が再発見されている。