どうぞの価値観21世紀文化のピース
どうも、自分で申し込んだ模試に行き忘れたことがあります。
明日から某発表まで毎日更新です。
自ら見つけ出したコンプレックスでコンプ、軽希死念慮持ちオタクの、「どうぞの価値観」があらゆる文化を吸収併合し、銀魂オタクから続き、所謂ボカロMVなどにあるかの世界観と信者を獲得した。
日本の中学生から20代前半の男子の30% 女子の20%くらいという実感である 多分数百万人規模の思想母体である。
傾向として本当にどうしようもない地獄 性同一性障害、孤児、親がヤバイなどなど、を抱えている人は少ししかいない。基本的な背景は「ふつうの人」である。
なぜどうぞの価値観(以後どうぞと略)かというと
どうぞの英雄 まふまふの楽曲
『メリーバッドエンド』の歌詞の一説
「手に取った凶器の言い訳を どうぞ」
この一説があまりにもどうぞ達の立ち位置を完璧に象徴しているからである。
(2019年12月にメリーバッドエンドが入っていたCD『イザナワレトラベラー』を貸してくれた同級生ありがとう)
どうぞの優れている所は社会的に相対弱者になった場合、自分が一般倫理的に相手より優れている部分があれば心の中で「どうぞ」と唱えるか倫理をネットに投稿するだけで物理的には何も変わらなくても相手より心理的に上に立つことができるということである。また、相手に強要をしないので非暴力なことや直接コミュニケーションを求められないのもメリットと言える(啓蒙思想や選民思想とは違う)
問題点の一つは相対価値観でしか無いことだ。どうぞが社会的強者になれば、倫理で叩きのめしたり、自分以下を人でなしとみなしたりする。これが俗に言わない「どうぞの暴走」である、(記号の反転)。 しかし絶対的な価値観は常に暴力的で曖昧であるから、それが選択できない。一旦嵌ってしまったらストレス社会集団から抜けるか、コンプレックスを超えないとこの状態からは逃れられない。
また、稀にいる倫理的にも強い社会的強者には太刀打ちできない。
ボカロ曲の考察する中高生オタクの投稿を見るのが大好きです。そして中高生オタクも好きです。
でも、メリーバッドエンドの考察はまず、この曲がマトリョシカと全く同じ構成、似た音であることからでしょう。 そもそも、まふまふの曲はボーカロイドクラシックスの 影響なしでは話にはなりません。