ブログと修復と (α)

書き部のブログ。書いてあることの2割を嘘だと思って読むべし。毎週金曜午後に更新 月三回 コリウスの葉っぱが目印 更新は終了しました。

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すごくない組スポーツ理論

 

 スポーツっていうのはそもそも「部活」だけでも、大会や記録だけでもないんです。 怪我をせずに体を動かしてルールに則って皆でやれたら、ゲームとして面白いんです。 それこそVRゲームみたいな物です。

 運動機能障害症候群のケアと、ルールその他の基本をある程度出来れば本当にビデオゲームやアナログボードゲームにも優位がつく遊びの選択肢となりうるんです。

「ある程度」とは僕が考えるにこのレベルです。(ベストはばなの理論を体現した協会が作られて、習熟の平均時間に対して基準を定めて行われる)

 

  • バスケットボールだったら、人がいても滑らかにドリブルが出来て、ノーマークでゴール下まで行ったら確実にレイアップを決めれる。
  • バレーボールだったら レシーブ ブロック スパイク サーブ トス全部やり方がわかって ある程度出来る人(ブロック トスはできなくても可)。
  • サッカーなら前で受けた時走るスピードでドリブルできて、シュートできる、そしてパスできる人。
  • 長距離走だったら 10km40分切り
  • 水泳だったら200m個人メドレーを泳ぎきれて。

 

多くのスポーツで当てはまるのは一般人の5パーセントくらいでしょうが、そのレベルがリアルトレーディングカードゲームで言う、望めば全カードを手に入れられる状態くらいのスタートです。そのくらいでしょう。 要するに、皆ある程度競技に向き合っていて、それで自滅せずに、何もなければ勝てるくらいの実力が最低値です。

 

人を集めるのは大変ですが、集まったとして重要なことは、そこの世界観では、タイムの早い遅い、プレイの巧い下手は、個性とみなすということです。(競技世界観では巧い奴速い奴が正義)
つまり、お互いのレベルを把握して遊べるレベルのハンデを付けることが重要です。 例えば水泳でタイムを競って遊ぶとしたら、ベストタイムを基準にハンデを付けてスタートすることや。 バレーでジャンプフローターを打てても相手が誰も取れないなら、山なりのサーブを打ってあげることなどです。 
 でも、皆で遊ぶための配慮であって、勘違いしないでほしいのは、ゲームには勝ちに行くという価値観を共有しています。 だから点が入ったら喜ぶし敢えて弱いシュートをしたりしない。という世界観です。 また、多くの競技に跨り、日によってやる競技が変わるのが理想です。そうすればある競技では強い人も他競技では最強ではないでしょう。

 

中学の時の部活とは世界観が合いませんでした。競技世界観を導入するんだったら、無意味な合宿なんかするよりその金で高名なコーチを数か月雇ってほしいです。 だから勝てないんです。

 

21時に寝ないと5時起きはきつい

6時20分起床

 

2時間 下村脩さんががんばったクラゲの遺伝子の実験

2時間 杜甫UR

2時間 方程式

30分復習

 

  生き方として、世の中の99.999%の人はすごいすごくないの論壇にあがるべきでないということがここ数年の経験で最も重要なことの一つだと思っています。 縦え今の時点ですごくても、どう頑張っても相対的価値しか持てないんです。 結局0.001%の基本能力が高い人が負けん気でやったら禅と徳との心や人生経験、障壁が関係しないと無理なので、何やっても1番すごくなれません。 私が目指すのはEver Greenです